1980年代の中国は、まだ経済が疲弊している状況で今の日本から見れば後進国のイメージがありました。その頃に、鄧小平が資本主義的な経済を導入します。東海岸の都市を経済特区として解放し、外資導入、工業化を推進します。深圳、上海の繁栄はここから始まっています。
1991年に社会主義国のソ連が崩壊します。中国をこれを教訓として、強固な国家体制を維持することに力を使っています。1989年の天安門事件は、選挙制度の民主化を求めた学生を武力鎮圧します。香港の状況はこの流れを踏まえていることは明らかです。香港という貿易上最も重要な拠点を喪失しても、一国の体制を維持したのだとも言えます。今の中国の国力は、アメリカの国力の低下を思うと、数字以上の実力があるとも考えられます。
日本にとっての香港は、最初に東京から求心力を奪っていった都市の一つであることは感じることが多く、1990年代には香港はまさにスターだったと思います。中国が、香港の投資と貿易を維持することは不可能だとは思いますが、今の中国は、躍進した大都市を抱える大国になっていることは1990年代とは全く違う状況であることは間違いありません。
日本は、アメリカと中国の間にある国です。これから、宗教や他国の文化理解をベースに経済・文化の中心として活躍する新たな時代がきているのかもしれません。
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