政治の生命線
時間の流れからいうと今なのか、未来を考えることなのかということを考えてみることが大切です。
もちろん、未来のことは予測が難しいのですが、今ある姿を理想的なものになるように将来に向けて変更しておくことが、政治の生命線なのだと思います。
逸脱はどこまで可能?
政治家が時間の流れを誤って逸脱するということはままあることだと思います。ただ、同じことを繰り返していても笑っていられる場合とそうでない場合があることは、それは時の流れの中に立って考えなければならない。
後に正しいことがわかる場合もあるので、逸脱が必ずしも絶対悪であるとは限りません。
ただ、間違いも多くということでしょう。
政治家は孤独且つ潔いことが必要
政治家は孤独な存在であると思います。今理解されない未来を実現するために働いているとしたらそれは孤独であることは当然のことと思います。
孤独に潔く向い合うことが、政治家のモットーだと感じます。
「あめつちに われひとりいて たつことき このさみしさを きみはほほえむ」
この歌は会津八一が法隆寺夢殿の「救世観音」について読んだものです。
天地の間に、自分ひとりが立っているような寂しさの中、あなたは微笑んでいるーという内容です。
問題に対する人間の生命の移ろいやすさ
古来から、人は眼前の問題解決をおこなってきていますが、人間の生命のうつろいやすさに対処できるすべもなく、エネルギーは拡散する方向へと向かうという物理的な法則に逆らうこともできない存在でもあります。
過去の大帝国も滅んだという事実はこのことと無関係ではありません。
人間の行う判断の正しさを担う政治家
また、近代広く認められている人間の自由は、人間の不確定性と有限性とも結びつき、合理的なものとは程遠い判断を引き出すこともあるということは事実です。
政治家は、大枠として、未来のためにそれは合理的なものなのか、そうでないのかを考えなければならない存在なのだと思います。
コメント