フーコーは、権力は、支配と被支配の二項対立で説明できない、暴力であったり圧迫であったりわかりやすく目に見えるものではなく、近代特有の管理システムに埋め込まれた権力で、あらゆる施設や社会に入り込んでいるという考えを提示しています。
この管理システムを支えているのは、近代科学的言説、真理や知に基づく言説が権力の源泉であると考え、新しい権力観で従来の権力観を更新しました。
新型コロナウイルスは、社会の監視について様々な状況を生み出していると思います。
マスコミ、SNS全てがひとつの監視システムを構築してしまったように見えます。
このことは、真理や知が、個人に対する権力になりうることを意識していなければなりません。特に注意しなければならないのは、思ったことが情報として拡散し易いということなのですが、大きな流れで言えば、集合知として働く可能性は良しとして、一個の監視的な権力として、歯止めなく働く可能性があることを思わなければなりません。
すでに、多くの人命がSNSの拡散力とスピードという圧倒的なメリットによって間接的に損なわれることがあることは確かなことだと思います。
新たな監視社会は、新型コロナウイルスによって加速することは疑いもない状況です。相手が見えない中で、休みなくそれと個人が戦って行くことは不可能です。AIを使用したものは、その拡散スピードと機械的な正確さでは、人間の認知能力を遥かに超えていることを実感していると思います。
本来の正義を取り戻すことが大切です。また、個々の人を守ってこそ、自身の幸福であると思います。攻撃は最大の防御ではありません。
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