死を学ぶことが必要となってしまった 日本の今ーアルフォンス・デーケンの死に思う

日本人の80%が病院死の現状となっています。1950年代までは80%が自宅死だったのが、1970年代の終わりに逆転が始まって、現在の状況となっています。医療技術の進歩と家族構成の問題による意識の変化など複合的な理由があると思います。


特に日本の治療と診断の進歩は目覚ましいものがあります。そのことは、医療が死の門番になることが急速に進んだ理由の一つと考えられます。死と医療は完全には一体ではなかったはずです。


人間の死の瞬間は病院医師が決定するものではないにもかかわらず、そうゆうものだと信じてしまってた後戻りのできない実態があります。


かつては、目の前で死を学ぶことができたー死者が教えてくれたということです。今は、死と生は別々の場所で起こるものと認識するようになっています。


老年期は、持てるものを全て失う瞬間がやって来る前段にあたります。死の瞬間には、財産、地位、かつて築いたものは例外なく手放すことになります。日本の今は、そのことを受容するプロセスを親しいものを通して経験することができなくなってしまいました。


「人間はだれでも自分のおかれた状況の中で、真に大切な可能性を選び取って生きなければならない」(ユーモアは老いと死の妙薬 アルフォンス・デーケン 講談社)


老年期に量的に長い時間はなく、質的な時間が存在しているーその中で大切な生きる時間を選ばなければならない、老年期においても充実する生もあるとデーケンは時間の質を重じています。


死は学ぶもの、心の準備として考えるものであると思います。治療や介護の方向が大まかでも定まっていれば、残りの時間の質を高めることができると思います。家族がいるのなら、折りに触れて話しておくことが大切なことです。


結婚していれば、配偶者の死と向き合わなけれならないことになります。孤独の日々に備えなければならないのですが、晩年の孤独との関係は、核家族化した日本では多くの問題を抱え、時間の質を考えることがそこから自分を解放する一つの鍵となると思います。


日本に充実した死への時間のあり方とユーモアの力を教えてくれたデーケンに感謝します。


Dedicate flowers to Alfons Deeken

Circulation means that flowers die and become soil, and that flowers bloom beautifully. Beautiful flowers are beautiful because they include death. In Japan, dead people are treated as if they were alive. And I think decorating flowers for the dead is a crown to the dead.