群集?公衆?大衆?頭の上を飛ぶものを考えるとき

群集は共通の利害をもっているが組織化されない集団、公衆はメディアを通したコミュニケーションや対話を通じて連帯し、世論を形成する。大衆はメディアの情報や商品を受動的に受け入れるだけの存在と定義されます。19世紀からこのような分類がされていて、大衆としての定義に自分があてはまってしまうのではないかと感じることが多くなっています。マス・メディアからのメッセージが直接届いて影響することを弾丸モデルとか皮下注射モデルもしくは強力効果モデルといいますが、現実にそのようなことが起こってしまうと、市民もずいぶん軽くみられたのかもしれないと考えてもいいのではないかと思います。

コミュニケーションには2段階の流があるという仮説は、ラザースフェルド(1901年から76年)の提起したもので、直接情報は大衆に伝達されるのではなく、メッセージ受け手内部のオピニオン・リーダーにより解釈・変容・補強されてパーソナル・コミュニケーションと接合して伝わるというものです。どのみち擬似環境であることは間違いなく、それだけに市民は、個の明晰性を持たなければならないと思います。







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