自由主義について
自由主義について3回にわけて説明します。
J・ベンサム、J・Sミル、T・H・グリーンを中心にイギリスの自由主義について
次に自由民主主義の形成として、A・Dトクヴィルを中心に自由主義について説明します。
さらに、現代的展開として、I・バーリン、L・ハーツ、F・Aハイエクなどを交え、E・バークの批判などの自由主義の批判について説明します。
自由主義の問題意識
問題意識としては、自由と平等の均衡または、両立とでもいう点が理解のポイントです。
「自由」は、今の日本人の意識から保証されるのは当然のような気がしますが、自由とは何かを真剣に考えると、途端にわからなくなるのではないかと思います。
暴力を行う自由、裸で歩く自由、罵る自由、一般的に人の個性と結びついてそれは、いつも肯定されるものばかりではないという問題意識が根底にあります。
憲法上は、「公共の福祉に反しない」ということの解釈が重要になってきます。公共という概念は、これまた議論のあるところではありますが、ここでは、その話は別の議論としておくことにします。
イギリスの自由主義、ベンサムから
ベンサム(1748年〜1832年)はイギリスの功利主義の代表的思想家で、個々人の集合全体の幸福を増大させるものを善、幸福を減少させるものを悪とします。社会利益を人々の利益の総和と考えたところが明瞭な感じがします。総和とは何かを考えるとこの話は難しい話になりますが、集合全体の「善」を最大化することが為政者の役割としています。「最大多数の最大幸福」の原理です。
ベンサムは、国家の干渉はよしとせず、諸個人の安全を守ることに重点をおく「夜警国家論」の立場に立っていました。
集合全体の幸福の増大=公共の利益のような感覚から考えると、すでにどうなのか?という疑問は感じますが、ベンサムの思いはもっと深いところにあったのかもしれません。
J・Sミル 、ベンサムの批判的継承
J・S ミル(1806年〜1873年)は、ベンサムと異なり、「最大多数の最大幸福」という計量的な尺度を否定しています。
イギリスの自由主義はベンサムの影響のもと、経済の自由、宗教的寛容など個人の自由を尊重する方向に向かうのですが、ミルは批判的な継承者として、「自由論」を著することで、個人の擁護を内容とする自由主義を確立します。
もともとベンサムの思う最大多数の最大幸福という話は言い過ぎの感じがありあますが、そこは、言葉のインパクトはあるものだと思います。また、大衆社会への扉を開く言葉とも考えられるところから、予言的な意味合いも感じられます。
ミルは、「個性」などの諸価値、自主性や独自性、多様性という価値観の実現と、個人の能力の優劣を一律に扱った場合の悪平等などその中に含まれている問題点を考察しています。
ただ、ミルの考えには、イギリスの選挙権の拡大による大衆の参加に対する懸念などをの背景があることは背景として理解しておくと良いでしょう。
「満足な豚であるより不満足な人間である方がよく、満足な馬鹿であるより不満足なソクラテスである方が良い」は、ミルの有名なことばですね。
T・Hグリーン、ミルの自由主義の批判的継承
T・Hグリーンは、さらにミルの自由主義を批判的に受け継ぎました。批判的にということは、一部受け入れながら、定義をし直すことですが、最高の価値をカントの影響もあって、人格の成長の補助として自由を定義します。自由の定義を共通善の実現を目指す積極的な自由と読み替えることで、新自由主義の代表的思想家となります。国家は、個人が最高善をなす自由の障害を除去するものとその役割を示します。
一見この三人はそれぞれ考えが異なっているようにも見えますが、自由主義思想家である共通点とそれぞれの批判的な考えはありますが、根幹の自由主義はしっかり受け継いでいることに注意が必要です。
ここまでは、イギリスの自由主義思想の展開の話でした。
次回第二回はヨーロッパ、アメリカの自由主義のお話しをいたします。
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