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認知症の老人を理解するために


痴呆の状況は、自分自身ではもう人格を補うことはできない、そこで、他者により補う作業が必要になります。それが、社会的人格を補うこと、つまり、周りがその人を知っていることで補っていくことです。周辺環境が整えば、より他者の理解可能な環境が整うことになります。このことが、死までの時間の豊かさのもとになると思います。


人の感覚は、自分の状態を安定した自我の状態にあると誤解してしまうのですが、同じ状態ではない、常に流動的な状態に置かれています。


また、人間の自我は死へ向けて、連続した早い速度の消失の過程にあって、その中で生命の平衡状態を保っているに過ぎません。


自我の崩壊、認知力の消失を受け入れることが死の感受ということになります。

 

ロジカルな話は困難ということ

外の人間が認知症に対する場合、ロジックに依存することは難しいし、そのことに怒りを覚えることになると思います。


認知症は時間、空間、距離の感覚を失って行きますが、基本的にものごとを抽象化するこのことに関する作業は難しくなります。


生活していく上でこの3つは、かなり大きな要素であることがわかります。


あったと思った空間が存在しなことがあって、もはや、自分の家を把握できなくなることすらあります。その時の喪失感は、突然に崖が現れたような感覚といえます。



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